泣きたい夜のはなし.

ドラマチックなことなんて、もうそうそう無い歳になったと思う。


今なら、こんな夜はホルモンの仕業だ、とピンときて、浸るなり落ちるなり寝るなりとその夜を味わう術も板に付いてきている。


それでも、ある。


青春の若さがなくたって、更年期ほどの乱れもなくたって、ふわつく夜なんて、ぐらつく夜なんて、まだまだある。


単純に若い苦さを思い出して、苦しくなるときだって、まだある。


日常でぼんやりと霞んでゆくような気がしてたって、過ごしてきた過去なんてあの日以来ほんとはなかったんじゃなかったのかなって錯覚してたって、自分がネガティヴに揺れて揺れてぐわーんてしている夜にこそ、その過去は現実だったことを思い出せる。


ヒトは痛みを忘れる。


敏感だったわたしは、この言葉、その言葉、あの目、人から漏れるため息、呼吸の速さ、その全てから大人になったら自分はこう言おう、こういう眼差しをしよう、ゆっくり生きようって。

決めていたことさえ、忘れた。


鮮血を流すような若い怪我じゃない。

深く、もう場所も思い出せない場所で違和感を感じる鈍痛みたいな。


ガーガー泣いてスッキリするような夜じゃなくて、その痛みを探すことにもぅ疲れちゃうような。


そんな、ぼんやりとした夜に流す涙はなんてねっとりしていて、2、3粒しか流れなくて、あぁー地下深くずぶずぶしてゆくなぁと。


子どものときは、わからなかったな。