寝たくない今夜.

 

1人を満喫したい欲に負けて午前2時、寝る時間がなくなって勿体無いのだが、寝なきゃいけない勿体無さを感じて今に至り。

なにをしてたかって、言うほどなにもしてないところがまた。

イヤホンして、歌をきいて、歌詞を眺めて、この人の星座なんだろーって検索して、あー、、なるほどなー、、なんて1人、浅い浅い知識をもとに分析して。

うん。

書きながら冷静に辿ると、なにしてんの。
中学生かよ、、って病気みたいな自分の脳みそを疑うわ。

きっとさ、死ぬまでこの気になることが浮かびやすくて、衝動的で、発作的なこの性格がおさまることはないんだろうなぁ。

でも最近わかってきた。
こうやってバランスとってるんだって。

ひとりで、誰の監視も鑑賞もうけずマイワールドに浸りきることこそ、これがわたしがわたしを保ってることなんだって。

誰にでも、あるよね?
自分の中の厨二てきな部分、大人になっても、いくつになっても。
ないって言われたらあらまぁ恥ずかしいわたしって感じだけど、これが自分の欲なんだとしたら、自分で処理してあげないと満たされなくて抜け殻になっちゃうのかもしれない。

そうそう、こんな文章がまさになんだけども。
自己満の極みな。

でもいい。
それでいいし、それがいい。

よーじろーみたく鳥肌たつようなこともちろん書けないけど、これでいい。

そうか、これも立派な自信か。
よーじろーありがたや。

冬は冬眠の季節だから、こもってやることがたのしくて、大体は脳内ですんじゃうから、なにも、なーんにもカタチに残らない。
そっか。
そんなヒトなのか。

それは考えもんか。

ここからの10年.

一昨日わたしは誕生日を迎えた。

 

朝目が覚めるとこの時期にしては暖かくて、部屋の中に霞がみえて、やわらかい空気を感じた。

 

あぁ、抜けたんだな。

色々抜けた。

 

そう思う朝だった。

 

皮膚にあたる空気は軽く優しく、呼吸するのがいつもより楽な、そんな日中。

家中の窓を開けて風を通らせた。

床を丁寧にふいて、キッチンの掃除をした。

 

今日がわたしのはじまりの日。

 

そんな確信があったのは不思議だったけど、とにかく今日を丁寧に生きようと思えた。

 

シャワーをあびて、お風呂を入念に掃除して、、そしたら気づいた。

何日か前から気になってた汚れを、今日は徹底的に綺麗にしてクリアになるんだって決めて入ったのに、既に旦那が掃除してくれていた。

まったく言ってなかったのに同じことを思い気づいて、率先して実行してくれて、それを何も言わず普通の流れとして彼なりに気持ちよく過ごそうとしている彼の気持ちがとても嬉しくて、わたしは心底嬉しくて、早くお礼を言わなくちゃいけないと思って。

お風呂のあと、お気に入りだけど普段の生活ではあまり着ないチュールスカートを履いて、軽くメイクもして、自分なりの身なりを整えた。

 

いつもの時間に息子の迎えに出ようとしたら、旦那が一緒に行こうと声をかけてくれたことが嬉しかった。

あったかい外の風にふかれて、同じ風にあたって呼吸をして、驚くくらい幸せだなって噛み締めた。

 

その後息子と旦那と手を繋いで歩いて帰って、旦那と息子にお風呂のこと、ありがとうを言った。

でもそしたら、当たり前のことだよって笑ってくれて、わたしは最高のお誕生日を送らせてもらえてるんだなって、胸がいっぱいになった。

 

私の日常にはこれといったダイナミックなことはそうそう起こらないけれど、日常の全部が幸せに満ち満ちていることに気づかされたあたらしい幕開け。

 

きっとわたしはこれから10年で苦楽ありながらだろうけど色々構築していって、また3年後、10年後リスタートの時期になっていくのかなって、そんなビジョンが見えつつ、足元をかためていく準備をはじめるところにきたのかなって。

 

 

そんな話でした。

 

 

KOHH

最近のハマリ音楽、それはKOHH。

 

もうね、なにがいいの?って聞かれたら、こたえられないんです。

強烈にやられたとしか、言えない。

 

初めて彼の “毎日だな” を聴いた時の衝撃。

http://youtu.be/pqtzllTW-aE

(携帯からだと埋め込めないかな?)

 

 

あー、そうだよなって、すごーーーく納得して、聴くたびピュアなポジティヴエネルギーがくる。

もう、死ぬほど聴いてる。

日常って色々みんなあって、それを消化するなりなんやかんややるけど、結局あーだこーだしたその先、みるものは希望ってゆーか。

色んなものをバリバリ噛みちぎったあとにフラットになって、あーそれでもやっぱり朝日はキレイだな、みたいな、楽しいのがいい!ってゆう潔さが聴いてて気持ち良くて。

 

まぁ単純に、イケメンやな、とかそーゆーヨコシマな気持ちもあり気ですが。

 

我慢の社会とか、ただつらいだけじゃん?

好きなことして、サイコーって生きたいじゃん?

 

とか、なんてゆーか、歌?には別に軍歌じゃないし希望がほしいというか。

でもそこにはマッキーとかみたいなひたすらな爽やかさは特にないというか、ざらっとした人間を感じたりとか。

 

息苦しいのはわたしだけなのかもしれないけれど、よくみんなフツーに社会に出て、よくみんなフツーに息切れせず生きてられるな、とか。とか。

 

ま、ひとつわたしの矛盾といえば、ただ楽しんでるだけって歌詞があったりしてこの歌はわっと外に向かうエネルギーを感じるけれど、一方わたしは激しく内向的というか。

ひとりきりでテンションあげたいみたいな。

そのウキウキは人と共有したくないみたいな。

 

だからこんなんなんだな〜〜っつって。

 

そんなはなし。

よし!

明日、頑張ってヨガ行くぞ!


日常が忙しくもないのに、なぜかゆったりしていない最近。

引っ越しからの、小学校。


なんだろうね。

エネルギーの流れがかわったのかな。


新居はとてもかわいくて、夫婦ともすごく気に入ってるのに、金縛りとか、よくあうんだしな。

わたしの霊気が高まってるのか。

ふふふ。


まぁ、そんなこんなであれこれあったりして今のところ4月からのんびりせずにいる。


最近あったこととと言えば、息子の入院。

少し遡って夏には新たに仲良くなった友達、正確にはママ友とプールに子連れで行ってみたり。

10年ぶりとか、そんなだったな。

バカみたいに浮かれて水着とか買ったけどさ。

いや、バカみたいだったって思うさ。


あー。

振り返ると色々、ごめんなさいとか反省ばっかりでね。

なんだかなぁって、過去については落ち込んだりする。笑


ここら辺はあらためてまた書く時間を頑張って…つくって…笑

さぼっちゃう性格なの。

今を生きすぎてて、な。


来週はバーベキューがあるな。

あー、いつの未来にキャンプ出来るかな。

そろそろ妄想を実現したいもんだぜ。


あ、あと、忘れたらいけない9.28。

宇多田ヒカルのアルバム。

もう、これはね。

言葉には出来ないさ。




そういえば卒園式.

息子の卒園式が3月半ばにありまして。


あーでもないこーでもないしてた卒園式のお洋服もどうにかなり。


結局、きちんとした方がいいのだよな??と思いOLさん的な膝丈フレアスカートにサラッとしたノーカラーのツイードペプラムジャケットを一万円くらいで買い、コサージュも卒園入学仕様で安いのを2つ、ビジューピアスが可愛いくて、パールみたいなバレッタと一緒に買い…ブラウス持ってない!と急きょ買いに行ったり。


意外と細々揃えてしまったけど、可愛くて満足でした。


まぁ、当日パール1連ネックレスとコサージュは忘れてっちゃったダメ母さんなんだけど。


意外とみんな髪型とか普通だった…と、きちんとしなくちゃ根性からの手をかけすぎた自分に、ちと恥ずかしさを感じてみたり…


とかいって息子の姿をみて大号泣してみたり、忙しい1日でした。


子どもの成長はほんとに早い。

大人も、そのスピードで老いてるの?

この時間の流れ方の差ってなんなの??


大人はずっと大人で、あるときふと気づくとおじさんおばさんになってて、で、またあるとき気づくと老人みたくなってる。


大人の成長の変化には気がつきにくい。


その点子どもは顔が変わり匂いが変わり、背が高くなり、声が低くなり…前を思い出しづらくなるような、目に見える変化を遂げていく。


老いることと成長することは、何が違うのか。

タイムライン的には同じ線にありそうなのに、いや、同じじゃないか…ネガティヴとポジティブな、3次元的には捉えがたいような違いをすごく感じる。


力尽きた。

おしまい。


泣きたい夜のはなし.

ドラマチックなことなんて、もうそうそう無い歳になったと思う。


今なら、こんな夜はホルモンの仕業だ、とピンときて、浸るなり落ちるなり寝るなりとその夜を味わう術も板に付いてきている。


それでも、ある。


青春の若さがなくたって、更年期ほどの乱れもなくたって、ふわつく夜なんて、ぐらつく夜なんて、まだまだある。


単純に若い苦さを思い出して、苦しくなるときだって、まだある。


日常でぼんやりと霞んでゆくような気がしてたって、過ごしてきた過去なんてあの日以来ほんとはなかったんじゃなかったのかなって錯覚してたって、自分がネガティヴに揺れて揺れてぐわーんてしている夜にこそ、その過去は現実だったことを思い出せる。


ヒトは痛みを忘れる。


敏感だったわたしは、この言葉、その言葉、あの目、人から漏れるため息、呼吸の速さ、その全てから大人になったら自分はこう言おう、こういう眼差しをしよう、ゆっくり生きようって。

決めていたことさえ、忘れた。


鮮血を流すような若い怪我じゃない。

深く、もう場所も思い出せない場所で違和感を感じる鈍痛みたいな。


ガーガー泣いてスッキリするような夜じゃなくて、その痛みを探すことにもぅ疲れちゃうような。


そんな、ぼんやりとした夜に流す涙はなんてねっとりしていて、2、3粒しか流れなくて、あぁー地下深くずぶずぶしてゆくなぁと。


子どものときは、わからなかったな。

本日の映画

これといってこだわりはない。


新作の1.2泊で観て返せる自信がないから新作でも7泊8日みたいのしかほとんど借りないし、覚えて借りに行っても圧倒されて目当てのものを忘れてまったくかすりもしない違う作品を借りたりもするし。。


わたしが若い頃はこういったレンタルショップのことをビデオ屋さん、て呼んでいたのだけど、いまツタ◯とかゲ◯とか、何屋さんて呼ぶの?

完全にビデオではないしね?

ディーブイディー屋さん??

長くね???


まぁ、それは置いといて本題。


最近また自分の中で映画ブームがきていて、今日もまた先週ぶりにビデオ屋さんに行ったのだが、先週観きれなかったハンガーゲームをアゲインしたわけで。


返す前にアントマンを観たのだけど、あれよね、蟻が苦手な人にはなかなかしんどい映画よね。

まぁ、わたしは大丈夫だけど。

アントニーはそんなあっさりな感じなのね、とかの疑問はあったけど。


どうでもいいんだけど、あらゆる言葉だったり表情だったりで伏線をはりまくってるような、あとからどう回収するのかなってわくわくするような映画ってあると思うんだけど、自分が期待してた以上になげやりな、投げっぱなし系の映画だと、逆に後をひいてしまうよね。

ツッコミどこ満載すぎる作品も、それはそれで好きだったりする。


あと、一時期は難しい映画わかります的な顔してた恥ずかしい時代もあったけど、やっぱり回り回ってわかりやすい爽快な映画のほうが楽でいいよね、とか。


あと、昔ほどバッドエンドが辛くないとか。

引っ張られてウツにならないとか。


これは、歳よね。


で、アントマン

わたしは好きな感じでした。

わかりやすすぎるまでの親は子を想っているんやでストーリーで、でも、ジーンとするほど深くもない。笑

コメディの描き方が浅いけどクスっとくる感じとか。

特に皮肉もない。


昔あったミクロキッズとかみたいな日常動作のシーンが一瞬だけ最初の方に出てくるのだが、今の映像技術でそれを見ると単純にとても楽しく、リアルさも加わりなんてファンタジー!って思って感動しましたけれども。


こーゆー世界観てのは、きっと現実に実験とか実現とか色々世界の科学者たちあるあるだったりして、そしてそれをパロディというか、フィクションとして描いているんだろうなぁ。。と妄想がすごいすごい。


一般ピポには夢のあるお伽話のようで、単純に楽しめました、というはなしでした。


おしまい。


あ、これからハンガーゲーム、観るぞ。

さっきるんるんでコンビニにつまむものも買いに行ったし、わくわく♫へへ♫